バークレー動物医療センターの歩み

先駆者として

先進的な米国の獣医学を学び、国内の動物医療の最前線に

現理事長の山本尚毅が創設し、現在は息子の山本晃輝が院長となり率いるバークレー動物医療センター。
約50年間、時代ごとの先端的な診療技術を取り入れつつ、地元の方から信頼される町医者を目指して歩んできました。
ここでは、そんな私たちの足跡をお話しします。

 

田んぼの中からの第一歩

田んぼの中からの第一歩  

山本尚毅(現理事長)は1968年(昭和43年)3月31日、加古川市で山本動物病院を開業しました。神戸市で3年間インターン(研修医)を務めた後、先輩の松原哲舟先生に「これから発展する地域だから」と薦められ、それまで縁もゆかりもなかった加古川市にやってきたのです。

2階が住まいになった建物の1階が病院でした。広さ8畳程度の病院スペースに、ボータブルレントゲンと血液検査機、手術器具を用意。初任給が月2万円だった時代に、15万円をかけて電話も設置しました。小さな病院ですが、当時としては先端的な装備を揃えました。国内の動物病院はまだ数少なく、加古川市・高砂市・播磨町の地域では4件目の動物病院。加古川市の人口も11万人強と現在の4割程度で、のどかな風景が広がっていました。動物病院の周りも田んぼだらけ、食用蛙がたくさん鳴いていました。

開業した年の11月5日に結婚した尚毅にとって、新生活は仕事・家庭ともに加古川市に根を下ろす形で始まりました。妻のみどりは獣医の世界とはまったく関係のない家庭で育ちましたが、その後は表に陰に尚毅を支え、二人三脚で動物病院を育てていきます。

 

国内の医療技術向上に力を注ぐ

国内の医療技術向上に力を注ぐ

 

開業後ちょうど10年を経た1978年(昭和53年)、現在の地へ病院を移転しました。鉄筋コンクリート造3階建てという立派な建物に、レントゲン、心電図、生化学検査などの当時としては先端的な検査機器を導入。麻酔や手術機器も整え、高度な手術に対応できるようにしました。また診察室や検査室、手術室は待合室から分離させました。その頃の動物病院では1つの部屋にすべての機能をまとめるのが一般的だったので、これらを分離した小動物の動物病院は当院が全国で2番目でした。

国内動物病院の診療現場はまだ発展途上にあり、意欲的な獣医師たちが先進的な米国から学び取ろうとしていた時代です。尚毅に加古川での開業を薦めた松原哲舟先生も米国への留学経験を有する気鋭の研究者で、米国の小動物関連の獣医学書を積極的に翻訳されていました。尚毅は松原先生に師事し、レントゲン撮影や画像検査の読影について最新技術を学びます。尚毅自身、1980年ごろには国内で初めてダックスフントの椎間板ヘルニア手術を成功させ、日本獣医学会で5例を発表。「当時は『読影にかけては日本一』を自称していた」と笑う尚毅は、まさに動物医療の先端をひた走りました。日本獣医学放射学研究会の会長も務めたのもこのころです。

同時に、日本の獣医学のレベルアップに尽くしました。カリフォルニア大学デイビス校の著名な研究者などを国内に招いては、臨床技術のプレゼンテーションや講演会を開いたのです。国内の熱心な獣医師たちの間でも尚毅の存在は際立ち、多くのインターンが加古川の小さな病院を志願して訪れました。

次は「思いを重ねる」

 

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